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『猛暑』より : 猛暑(もうしょ)とは、普段と比べて猛烈に暑いときのことである。酷暑(こくしょ)と類義。しばしば報道や日常会話で使われるが、気象用語としての定義はない。
一般に、夏季において、背の高い高気圧に覆われて全層に渡って風が弱く、周囲の比較的冷たい空気や湿気の流入が弱く快晴状態の場合に起こりやすい。内陸の盆地状地形では、周囲の山岳により外部の大気との混合が妨げられ、昇温した空気が滞留しやすいため、他の地域よりも「猛暑」となりやすい。
またフェーン現象が発生すると、山塊の風下部では乾燥した高温の大気によって盛夏でなくても猛暑となりやすい。日本の気象官署での最高気温記録 40.8℃が山形市で記録されたときも、このフェーン現象が原因であった。
趙 雲(ちょう うん、Zhao-Yun、? - 229年)は、中国、後漢末から三国時代 (中国) 三国時代の蜀(蜀漢)に仕えた軍人。字は子龍。常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広がいる。父と兄の名は不詳。
『三国志 (歴史書) 三国志』蜀書趙雲伝の注釈にある『趙雲別伝』(現在は散逸)によると、趙雲は身長八尺(約184cm)、姿や顔つきが際立って立派だった。故郷の常山郡から推挙され、官民の義勇兵を率いて公孫サン 公孫瓚の配下となった。
公孫瓚が青州において袁紹と戦っている田楷の援軍として劉備を派遣した際に随行し、劉備の騎兵隊長となった。
『三国志』蜀書趙雲伝の注に引く『趙雲別伝』によると、その後趙雲は兄の喪のために公孫瓚の元を辞して故郷に帰ることとなり、劉備は趙雲が戻ってこないことを悟った、とある。(192年に常山郡が袁紹の手に移ったのが理由であろうか)